わたし、漢検3級です。
学校では「とめ・はね・はらい」を教わると知り、娘が小学生になるとき、3級を取りました。
「お母さん、この字はどう書くの?」と聞かれても答えられないのは困ると思ったのです(マジです)。
でも、聞かれた記憶、ないなぁ……(3級の持ち腐れ・その1)
順調に加齢して、わたしの記憶力も……「はしごを外された」感じになってきました。
絶対に知っているとわかっているのに、その漢字が思い出せない……
そこだけ、ふっと白く消えたみたいになるのです。
「そのうち思い出せる」ということもわかってるけど……結局スマホで調べたりしてね(3級の持ち腐れ・その2)。
一般には「度忘れ」と呼ばれるものでしょうか。
いつだったか、友だちとの会話の中で「トム・ハンクスが好き」といいたいのに、この名前が「空白」になってしまって。
姿かたちは、もちろん頭に浮かんでるのに。
出演作だって、3つ、4つ、「好き」といおうとした瞬間に浮かんだのに。
(アポロ13、フォレスト・ガンプ、ビッグ、ユー・ガット・メール云々)
不思議だなぁ。
この小さな「空白」、度忘れは多くのオトナたちが経験しているでしょう(たぶん)。
なんていうか……手品みたい?
そこにあったことは覚えているのに、見えない。
コインが消える、テーブルマジック。
実父が今、そんなマジカルな日常を送っています。
度忘れの、度が過ぎた状態ですね。
先日、父が簡単なテストを受ける場に立ち会いました。
テーブルに3つのアイテムを置いて覚えてもらい、それを片付けたあと、しばらくたってから、
「さっき、ここにあったものは?」
と聞く……そういうテストです。
もちろん、父は答えられず。
父にとっては、「そこに何かがあったなんて。それが消えたなんて」という感じで、まさにテーブルマジックだったのだろうな、と思います。
わたしも、こうなっていくんだろうなぁ。
それは怖いなぁ。
マジカルだわ! と楽しめるようになるといいんだけど……どうだろう?
この先、父の中の空白も広がっていくんだろうし……今みたいに「お父さん、日々、新鮮じゃん(初耳、初体験がいっぱい)」といっていられなくなるんだろうな。
自身のことも、父のことも、「要観察」です。
ところで、上記のテストを傍で観ていて、わたしは「映像で記憶するタイプ」だと実感しました。
アイテム名を覚えているわけじゃない、というか。
父と一緒に思い出そうとすると、その時点の「映像」(アイテムを並べるときのしぐさとか声とか)が脳内で再生されるのです。
そういえば、テストのときも「教科書の、あの見開きの、上のあたりにあったのに(わからぬ! ぼやけとる!)」みたいな思い出し方だったなぁ。
なるほど。