わたしは「公募スクール」では初級的な連続講座を担当中なのですが、それと並行して単発の……というか、書きあがった作品を拝見し、添削講評する仕事もしています。
「公募スクール」だけではなく、別の講座等でも拝見しています。
5枚程度の幼年童話から、200枚越えの長編(児童文学ではこの枚数でも長編です)まで、今年もすでに20作を超えたかな?
手書きではない(ワープロソフトで書いてプリントアウトした)ものが大半なので、「生原稿」という呼び方はふさわしくないかもしれませんが、書いた方が手にした用紙をそのまま受け取っているという意味では「生」ともいえる原稿です。
そのせいでしょうか。
何かが「伝わってくる」感じを抱くこともあります。
最近、以前よりも強く、
「この作品を書いた方の気持ちは……」
みたいなことを考えるようになりました。
この人はなぜこの作品を書いたのか……思い入れとか望む未来とか、そういうことを。
それと同時に(頭の別の部分で)新人賞の選考委員の一員として、
「出版社がほしがるものは……」
なんてことも、考えるようになりました。
ドンくさいわたしも、同じ仕事を続けていれば変わっていくのだなと、講評を書きながら自分に驚くことも……。
講師の仕事(講評の書き方や内容)って人に教わるものではないし、常に手探り。
文字どおり、手探りです。
自分が経験したことや感じたことを講評に変換している……自身の脳内を探って答えをつかみだしている感覚があるんです。
経験が増えれば(そして業界が変われば、さらに世の中が変われば)講評も変わってくるのは、必然なのかもしれません。