ある世代以上でしょうか、「文通≒男女交際」のイメージをお持ちの方がいるらしい……。
以前も書いたかもしれませんが、とある方とデート中に、
「文通が好きだったんです、ペンフレンドは常時40人くらいいたかな」
みたいなことをいったら、コーヒー噴かれそうになった……
その方のイメージの中では、現代でいう「出会い系」みたいなものだったらしいです。
確かに……「写真の交換で別人のを送った」とか「文通相手=異性と会うことになった(ドキドキ)」みたいなネタはあったなぁ、当時の小説とかには。
わたしのペンフレンドは大半が同性でしたが。
それはともかく……今、講評を書きながら、
「これって、仮想文通かも」
と思うのです。
いえ、「これこれこういう理由で、この文はこっちに移した方がいいと思います」とか書いてるわけですから、内容は明らかに講評なんですが(そのはずなんですが)……
「気分はお便り」
なの。
送っていただいた作品への「お返事」……あ、そういえば、「お返事」って言葉を使うこともあるわ!
ナチュラルに文通気分……(^^ゞ
10~20代にたくさんの手紙を書いたことが……封筒がパンパンになるような……レターセットの便箋じゃ足りなくてレポート用紙を使ったりするほど長い手紙をやりとりした、そんな文通経験が、未来の講評書きのためのトレーニングになっていたのではないか……なんて思うのです。
男女交際には役立た(て)なかったけど、仕事には役立ってる(・∀・)イイネ!!
まぁ、そのせいで、わたしの講評は「長すぎる」のでしょうね。
今年度は講評の「コンパクト化」にも取り組みたいです。
長い講評を書くことが多いせいか、(作品の出来がよくて)講評が短くてすむとき、「仕事をサボっているかのような罪悪感」に駆られてしまう……そのあたりもカイゼンしたいのです。