400字詰換算です。
ひとつの講評です。
「3枚のお札」的に「講評が28枚(28件)」という意味ではないです。
長い長い講評を書くたび、「わしは話が長すぎるのじゃ」と自分に呆れるのですが……。
さっき、今年(この10か月弱)に何作拝見したかな、とフォルダを開いてみたら、サイズの大きなファイル(講評)が見つかり、
「こんなの(こんなに)書いたっけ?」
と、訝しい気持ちで確認したら……書いてた。
400字詰換算したら、28枚だった……orz
プリントアウトしてくださる事務局の方もたいへんだったと思います。
もちろん、無駄話をしているわけじゃないです。←そのつもりです!
拝見するのが長編なら、チェックポイントも多くなりがちですし。
いえ、単純に比例することはないんですけどね。
お伝えしたいことの数によるといいますか、5枚の作品でも、講評が5枚以上になる、みたいなことはありますし。
(のちに某賞を受賞された作品は100枚以上あったはずだけど、講評はすごく短かった……今、探してみたら7枚でした……びっくり……)
通信講座は「一方通行」なので(対話しながらではないので)、
「Aという意図ですか? ならば、こうしては? それともBのつもりですか? それなら、この方法で……」
みたいな話し方になることがあり、それも「話が長くなる」一因かと思います。
(複数の意図が想像できるなら、ひとつ選んで、決めつけることはできませぬ)
28枚であろうと、講評なら一日で(1~2時間で)書けます。
わしは話が長すぎる……基本「言いたがり」なんでしょう。
それでもこういう数字を見ると、さらに「効率化」を計らねば、と思うのです。
カイゼンをくりかえして、以前よりは楽に講評をお返しできるようになった気がしています。
楽に、というのは「わたしの心理的負担」の意味で。
以前はもっとキリキリと、「誤字はもちろん表記ゆれもないように」とか「自分好みじゃない変換も直したい」とか……まぁ、たいへんでしたよ、(無駄な)こだわりの人。
今は、固有名詞や元の表記(原稿から引用する場合)などがまちがっていなければ「よし」くらいの気持ちでやっています。
耳でのチェック(読み上げ)も口でのチェック(音読)も、一回ずつに決めたし。
エディタの表示フォントも大きくして、目視でもミスがわかりやすいようにし、試し刷りの書式も変更して……。
まだまだカイゼンできることがないか探しつつ……
「カイゼンしたんだから、これ以上神経質にならないで!」
と自分を励ましつつ……今日も講評を書くのです。
次のカイゼンは「いかに短くするか」なんですけど、これがね……なかなかね……。
わしは「言いたがり」なのでね。