9時から4時まで

夜9時に寝て朝4時に起きるgotomiwaが可能なかぎりつまらないことを書くためのブログです

講評の余白

どうすればいいのかな、と迷っていることがある。

ケースバイケース……臨機応変でしょ、というのが「答え」かもしれないけど。

 

この一年、受講生さんから、さまざまなタイプのご質問をいただいた。

数えきれない(数えていない)けれど、課題原稿等々、月に20以上お預かりするのが「あたりまえ」的な状況になっているから、そのうちの半数にご質問が添えられているとしても10件、年間で120件となるわけで……。

 

わたしは「質疑応答」が大好きなので、ご質問自体は大歓迎。

 

でも、ときどき、

「そんなこと、『先生』に聞かず、自分で決めてええねんで」

と返したくなるようなものがある(具体的なことは秘す)。

もちろん、そう答えることはなく、普通にお返事を書いているから(一般にはこうですとか、わたしはこうしていますとか、こうする作家さんもいるようですとか)受講生さんは、わたしの「ええねんで」な気持ちに気づかないと思うけど。

 

そして、そういうご質問に出会うたび、「わたしの普段の講評は『書きすぎ』なんだろうか」と思ったりする。

余白がないのかな。

お母さんが何でも先回りすると子どもの自立心が育たない、みたいな状態?

 

決して、そのつもりは……「手取り足取り」過ぎるつもりはないんだけど。

「ここはこう直してください」みたいな、みっちりして断定的な「指導」もしていないつもりなんだけど。

(誤読を招くから読点の位置を変えましょう等々、ちゃんと理由があるときは「指導」としか呼べない表現になります)

 

受講生さんが、ご自身の「感性」をもっと信じられるようになるといいな。

「わたしは、これがいいと思ったので(とか、こう書くのが好きなので)こうしました!」

そういえるような(そういうことをためらわないような)講師じゃないと、あかんのやないかな。

 

そんなことを考えるようになりました。

これは「宿題」になりそうです。