ふだん考えている「つもりの」ことでも、言葉にしないとちゃんと意識できないのだなと身に染みることがあった。
先日、いつものように通信添削の仕事に取り組んでいて……その講評を書くときに、それが起こったのだった。
詳しいことは省くけれど(守秘義務)、
「あなたは、作品を書きながら泣いたことがありますか?」
と問いかけた。
(「通信」だから、もちろん回答はない。あるとしても、もっと先)
だって、わたしはあなたの作品の改稿案を考えているだけで泣けてきたよ?
これ、感動的な題材だよ?
そう思ったから。
アマチュア時代、「作者さえ感動しない作品はスカである」みたいに紙に書いて貼っていたのを思いだした。
それをより具体的に(?)言い換えたのが上記の質問だ。
仕事では、いろんな「書き方」をすることがある。
自身の感動より、依頼主の意向(発表媒体の性質とか)に沿おうと考えることもある。
(それでも、わたしは自分の趣味に合わないことは書けないけど)
だけどさ、と思ったのだ。
自分の好きな内容を好きなタイミングで書けるアマチュア時代こそ、もっと心を動かしながら書いてもいいんじゃない?
それを、誰かに(読者に)伝わるように表現するのが、もちろん大事(ひとりよがりではダメ)なんだけど……
そこは技術でカバーできるし、技術は磨いていけるんじゃない?
そんなふうに思ったのだった。
講評を受け取った相手が、「そういえば……」と考えてくれたらうれしい。
(「泣く」と書いているけど、もちろんほかの感情でもいい。わたし、読み返すたびに必ず同じ個所で噴き出す作品もあったよ。この感じが伝わればいいな、読んだ人も笑ってくれるといいなと思ってた……成功したかどうかはわからないけどね)