先日、仕事上必要になって、久しぶりに「ライナスの毛布」という言葉を思い出し、書いた。
どんなにふりかえってみても、わたし自身にはライナスの毛布は(ハンカチもぬいぐるみも)なかった…と思う。
だから、人には「わたしにはなかったけどね、それはライナスの毛布だよね、わかるわぁ」などと話す。
「ライナスの毛布」と書くことになったのは、「預かった原稿を読んで講評する仕事」のほう。
もう10年くらい続いていて、とっくに気づいているんだけど、わたしはそういう仕事が好きらしい。
正直にいえば、天職かもしれない、とさえ思っている。
もし息子がいたら、口うるさい姑になっていたはずだ(まあああ! こんなところに埃が! 手垢が!)。
そうやって、日々「誰かが書いた文章」を読み、それについて考えながら暮らしている。
早朝、しばらく保留にしていた原稿(自身の作品です)の続きを書いた。
書いて消して書いて直して……その作業が心地よかった。
ああ、やっぱり、自分の文章には自分の匂いがあるんだな、と思った。
安らぐ、癒される……そんなふうな何か。
(こんなこといったら、読者さんに鼻をつままれそうだけど…「臭い」じゃないので、許してください)
たぶん、そのせいだ。
朝ごはんを作りながら、「ライナスの毛布」のことを思い出したのは。
自分の匂いがして、手放せない……触れていると安らげる……ライナスの毛布的なものを、わたしはずっと前から持っていたらしい。