このことは書かずにおこうと思っていたのだけど、わたしにとっては自分の仕事にも関係するので(どこが? って思われそう)自分用の覚書を兼ねて。
このところ、すきま時間にNetflixでドラマを観ていました。
「クイーンズ・ギャンビット」
タイトルを見ただけでは、わたしには「???」。
チェスの話、と解説を聞いても「???」。
若いころはチェスやチェッカー、オセロや将棋……いろんなゲームを持っていた(やってみた)けど、チェスはもはやルールも思いだせないほどです。
Netflixが観られる方限定ですが、興味ある方への解説はweb記事にお任せするとして…。
このドラマを観ていて、チェスって(わたしの)「小説の書き方」に似てるなって思ったのでした。
チェスの「目的地」は相手のキングを取ること。
(わたしの)小説の目的地は、まぁ、結末だったりテーマだったりするけど、「書こう」と思ったときにはそれは決まっているのです。
でも、そこに行きつくまでには数えきれない「手」がある。
キャラひとり、言葉ひとつ、動かしただけで、次の一手が変わるし。
プロットをきっちり(行単位で)作る作家さんに、わたしのアバウトさで「なぜ書けるの?」と聞かれたことがあるけれど。
正確には、
「どのくらいの段階まで考えたら書きだせるの(できあがるってわかるの)?」
と聞かれたのだけど。
そのときは「え、わたしにもわかんない」としか答えられなかった…。
今なら、答えが浮かぶのです。
「目的地がわかって、駒が揃えば書き出せる」(「できあがる」ことがわかる)
って。
その途中の段階は、ゲームがはじまってみないと(書きだしてみないと)わからないけど……わたしの場合、この段階で時間がかかったりもするのだけど。
ある程度、先の手まで読めるし、対戦相手も制限時間もある実際のチェスと違って、戻ってやり直すこともできる(必要なら)。
だから、「どうしていいかわからなくなって途中でやめちゃった」みたいなことは起こらないのです。
(もちろん、できあがったもの自体がニーズに合わなかったり、クオリティ的に低かったりして、活字にならないことはあります)←よくあります(泣)
ゲームがどんな展開になるか「あらかじめわかっていない」からこそ、創作が楽しいんだろうなぁ、なんて今では思います。
何度も「わたしの」と書いているように、「これが小説の書き方である」という話ではありません。
あと、もちろん、わたしはヒロインのような天才ではないです。境遇も違う。そこに共感している、とかの話でもありません(ドラマはめっちゃおもしろいですが)。
今は、プロットで判断してから執筆許可が下りる、みたいなことも多いから、プロットがちゃんと(というのがどの程度かわかりませんが)書ける人のほうが有利だと思います。
よい子は真似しないでね、みたいな記事になりました。
ドラマ紹介は、ネタばれが少なそうなWikipediaをリンクしておきます。
「ラブ・アクチュアリー」でかわいい子役だったトーマス・サングスター(今はトーマス・ブロディ=サングスターという名です)がヒゲを生やして登場したときには、
「うっわー、大人になったなー!」
と、声が出たわ……