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夜9時に寝て朝4時に起きるgotomiwaが可能なかぎりつまらないことを書くためのブログです

「クイーンズ・ギャンビット」とわたしの創作

このことは書かずにおこうと思っていたのだけど、わたしにとっては自分の仕事にも関係するので(どこが? って思われそう)自分用の覚書を兼ねて。

 

このところ、すきま時間にNetflixでドラマを観ていました。

「クイーンズ・ギャンビット」

 

タイトルを見ただけでは、わたしには「???」。

チェスの話、と解説を聞いても「???」。

若いころはチェスやチェッカー、オセロや将棋……いろんなゲームを持っていた(やってみた)けど、チェスはもはやルールも思いだせないほどです。

 

Netflixが観られる方限定ですが、興味ある方への解説はweb記事にお任せするとして…。

 

このドラマを観ていて、チェスって(わたしの)「小説の書き方」に似てるなって思ったのでした。

チェスの「目的地」は相手のキングを取ること。

(わたしの)小説の目的地は、まぁ、結末だったりテーマだったりするけど、「書こう」と思ったときにはそれは決まっているのです。

 

でも、そこに行きつくまでには数えきれない「手」がある。

キャラひとり、言葉ひとつ、動かしただけで、次の一手が変わるし。

 

プロットをきっちり(行単位で)作る作家さんに、わたしのアバウトさで「なぜ書けるの?」と聞かれたことがあるけれど。

正確には、

「どのくらいの段階まで考えたら書きだせるの(できあがるってわかるの)?」

と聞かれたのだけど。

そのときは「え、わたしにもわかんない」としか答えられなかった…。

 

今なら、答えが浮かぶのです。

「目的地がわかって、駒が揃えば書き出せる」(「できあがる」ことがわかる)

って。

 

その途中の段階は、ゲームがはじまってみないと(書きだしてみないと)わからないけど……わたしの場合、この段階で時間がかかったりもするのだけど。

 

ある程度、先の手まで読めるし、対戦相手も制限時間もある実際のチェスと違って、戻ってやり直すこともできる(必要なら)。

だから、「どうしていいかわからなくなって途中でやめちゃった」みたいなことは起こらないのです。

(もちろん、できあがったもの自体がニーズに合わなかったり、クオリティ的に低かったりして、活字にならないことはあります)←よくあります(泣)

 

ゲームがどんな展開になるか「あらかじめわかっていない」からこそ、創作が楽しいんだろうなぁ、なんて今では思います。

何度も「わたしの」と書いているように、「これが小説の書き方である」という話ではありません。

あと、もちろん、わたしはヒロインのような天才ではないです。境遇も違う。そこに共感している、とかの話でもありません(ドラマはめっちゃおもしろいですが)。

 

今は、プロットで判断してから執筆許可が下りる、みたいなことも多いから、プロットがちゃんと(というのがどの程度かわかりませんが)書ける人のほうが有利だと思います。

よい子は真似しないでね、みたいな記事になりました。

 

 

ドラマ紹介は、ネタばれが少なそうなWikipediaをリンクしておきます。

ラブ・アクチュアリー」でかわいい子役だったトーマス・サングスター(今はトーマス・ブロディ=サングスターという名です)がヒゲを生やして登場したときには、

「うっわー、大人になったなー!」

と、声が出たわ……

ja.wikipedia.org