手元に届く添削課題の数がみるみる増えまして、それはとてもありがたいことで、一件一件の講評はあいかわらず楽しく書かせていただいているのですが、その周辺に問題があります。
これをどうにかしないとなー、と思っています。
でないと……ほかの仕事と重なったときなど、頭が「ギャー」ってなるしね……
「周辺の問題」っていうのは、わたしが推敲魔だってことですね。
言い換えれば、無駄に神経質、というか……。
(たまに言ってますけど、140字のツイートでさえもけっこう推敲しています)
大事なのは「何をお伝えするか」であって、語順が「自分の好み」じゃないとしても、「もっといい比喩があるかもしれない」と思えても、そこは妥協してもいいと思うんです(自分の中で)。
最近は「見直し」もカイゼンしました。
見る(黙読)、聞く(Wordによる読み上げ)、声に出す(音読)、各1回と決めています。
そうしないと、何度もやりたくなるから。
送り出す直前までウジウジ(ほんと、そう呼びたい感じ)と表現に悩まないように、自分に言い聞かせてもいます。
でもなー。
この「見直し」は、推敲というより校正と呼ぶべき作業で、字の抜けとかを確認するためにしているのに、その際もしょっちゅう「この読点は省いてもいいだろうか」みたいに唸ってるなー……
よろしくない。
文章だから気になるだけで、口頭で伝える場合なら言いまちがいもするし、噛むし、「えーと」「あのー」だっていっぱい挟まっているはず。
(数えたことないけど。この「はず」は「挟まっている」ではなく「いっぱい」のほうにかかります)
なのに、文章だと強烈に気になるのは、よろしくないと思うのね…。
そんなことで消耗しても意味ない…と。
自分なりにチェックポイントを作って、いい意味で効率化を図るというか、さらなるカイゼンを試みたいです。
「これとこれをしたら、『推敲(と校正)はできた』と考える」
そんな「線」を、自分のために引きたいと思います。
くりかえしますが、本当に大事なのは「講評の内容(何を伝えるか)」ですし、そのために迷ったり工夫したりするのは、当然だし、楽しいのです。
「(わたしの目から見て)文章がきれいにキマっている」かどうかは、受講生さんにとってはどうでもいいことですよね。
そこに、つい労力(時間)を使ってしまう自分がイヤなんだ……
この点がスムーズになれば、もっと仕事が増えても平気だ(ギャーってならない)と思うの。
「平気」どころか「ウキウキしちゃう」かもしれない。
そのくらい、講評すること自体は好きなのです。