今日の記事を書こうと思って、ふと「下書き」の一覧を開いてみました。
一覧っていうか……一覧できない……二覧か三覧か……「次のページ」に移っていかないと全部表示されない。
(すでにけっこう削除しているんですが、それでもまだこんなに?)
下書きを捨てて別の形で書いてしまった話題もあるとはいえ、ほとんどが「ボツ話題」なわけで……。
ボツにしたくなるようなことを、しょっちゅう考えて(書いて)いるのだなぁ。
かといって、実際に公開した記事が「選りすぐり」「珠玉の銘品」というわけでもなく。
(何しろ「つまらないこと」を書く努力をするブログなので)
ひとつ言えるのは……。
わたしは気がつくと脳内で文章を書いていて(文章の形で思考していて?)……それはちゃんと句読点も改行もあるもので、いつからそういうクセができたのかはわかりませんが、
「そのうちの一部しかPCに入力していない」
ってことです。
入力しても(このブログの記事だけではなく、twitterなどでも)ボツにするものがあるということは、脳内にはボツ記事(ボツ思考)が詰まっているということなのね……。
「何でもいいから書きなさい」
といわれたら、24時間文章を書いていられます……よくそういってたけど。
今後、さらに老化したとき、わたしの頭の中に溜まりに溜まった「下書き」たちはどうなるんだろう。
むかしむかしのバイト先に、ずっとひとりごとをいいながら作業している人がいたのです。
あんな感じになるのかな……ボツ思考がえんえん口から洩れちゃうような。
あるいは、真っ白になるのかも。
今、たまに「人の名前」が思い出せなくなるときの、あの小さな「空白」が広がるんだろうか。
(これ、ほんと、びっくりする。「ビッグ」「フィラデルフィア」「プライベート・ライアン」「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」……って出演作のタイトルは次々出てくるのに、なぜ「トム・ハンクス」の6文字……ナカグロを含めても7文字……が出ないのか)
老化は未知への旅。
たとえば、口から出るようになったときに、そのことをはずかしがる心とか。
真っ白になったときに、「白すぎる」と嘆き悲しむ心とか。
それが残っているのかも、わかりません。
ドキドキするわー♪