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夜9時に寝て朝4時に起きるgotomiwaが可能なかぎりつまらないことを書くためのブログです

なつかしの神楽坂をのぼる

この記事の写真を見ても「なんだ、これ?」となるでしょう……当時、毎年ここに来ていたみなさんも。

 

今月は「リアル理事会」があったので上京してきました。

が。

この日はなぜか、足が、朝から痛かった……。

(えっと、単なる「記録」です。心配していただきたくないので書きますが、まったく何ともない日と爪先の疼痛がある日があり、今のところ原因不明。たぶん80歳くらいになったら「もうすぐ雨が降るのね、古傷が痛むわ」みたいになるんだろうなぁと思います。「いてーな」と思いつつも歩けるので大丈夫です)

 

地元私鉄から地下鉄、新幹線,、JR在来線を乗り継いで飯田橋まで行き、神楽坂をのぼったわけです。

日本児童文学者協会の事務局も理事会の会場(会議室)も、坂を上って「徒歩で行ける範囲」だからです。

でも、のぼりはじめて気づいてしまった……(思い出した、というべきか)。

「わたしの日常生活に『坂』はない」

徒歩で通るような坂がありません(濃尾平野住まいだしなー)。

だから、坂をのぼるのは……何か月ぶり?

骨折を機に衰えていたわたしにとって、神楽坂を歩くのはほとんど「登山」です。

笑っちゃうくらい脚(膝)があがらなくて驚きました(筋トレ、がんばらねば)。

 

さて、上には協会事務局や会議室のことを書きましたが、わたしが最もこの神楽坂を利用したのは「福島正実記念SF童話賞」と「ジュニア冒険小説大賞」の贈呈式のため、でした。

最初は受賞者として。

翌年からは、創作集団プロミネンスのメンバーとして。

デビュー当時はプロミネンスの忘年会もあったし、協会関係の行事でも使われたし……訪れた回数は20回を超える……30回くらいになるんじゃないかと思います。

 

日本出版クラブ会館」があったのです。

 

この施設はコロナ禍前に、神保町に新たに作られました。

神楽坂から神保町へ。

いつも「かみ」がついてますね、出版クラブだけに……みたいなことを会館の方に行っちゃったよね(ダジャレ好き)。

上記二賞の贈呈式も今は神保町で開催されていますし、コロナ禍もあって(リアル会議が減って)「神楽坂をのぼる」ことも久しくなかったので、いろいろとなつかしみました。

 

編集者さん(すでに退職)に連れていってもらった紀の善(抹茶ババロアがおいしかった)はなくなり……それは知っていたけど、跡地(?)にできたお店は初めて見ました。

ある本の打ち上げで編集者さんにごちそうしていただいたお店も、この坂の途中。

福島賞の二次会でお茶した最初の喫茶店はとうになくなっているけど、神楽坂時代の最後のほう、みんなで入った椿屋珈琲は今も営業してる……とか、きょろきょろしながら、えっちらおっちらのぼっていきました。

 

そして、下の写真が、出版クラブ会館のあった場所。

この裸の木はイチョウです。

保護樹なので、建物が変わっても残されています。

思い出の「旧・出版クラブ会館」がなくなっても、この木だけはずっとここにいるのです。

樹齢250年以上だとか。

 

前回の上京は骨折から1か月後(まだ通院中)でした。一部タクシーも利用したため、上京したのにめずらしく歩数は4桁でした。

今回はちゃんと5桁……1万歩を超えました。

普通の湿布が手元になかったので、点温膏を貼って寝ました(^^ゞ

(いてーな、と内心毒づきつつも1万歩動けるので、ほんとにご心配なく)