タイトルが自分用の覚書になってますが。
PCで個人的な日記(というか日誌?)を書くようになってから、約18年、1年分をふたつのファイルにするのが習慣になっています。
(「個人的な」=ホームページ時代の公開用の日記ではないという意味です。今のスタイルは2006年から。ホームページは2000年から作っていました)
今年の日記も、今日までは2024年の「1」というファイル。
明日からは「2」になるわけです。
上に「日誌」という言葉を使ったように、わたしの日記にはほとんど、
「その日にしたこと、あったこと」
しか書かれていません。
つまり、「出来事」ですね。
「感情」はほとんど記録しないのです。
だから、死後(?)人に見られても、困らないんじゃないかな。
見られたら困るぅ(>_<)と思うから、というのも感情を書かない理由ではありますが、記された「出来事」を読み返せば、そのときの感情は蘇りますから、自分のためにはそれでOKなのです。
(見られても困らない感情は、たまに書いています。「やったー!」とか「ホッとした」とか、みたいに。いつかわたしの日記を読む人がいたら、gotomiwaは前向きで温厚な人だったのね、と大誤解するかもしれません)←わはは~
普段、適当に書いていますが、キーワードを書いておくことで読み返したときに役立つ場合もあります。
たとえば、初めて「コロナ」が(わたしの日記内で)言及されたのは2020年2月26日。
「コロナの影響で、読書会は中止」
と書いてあります。
ああ、なつかしい……。
当時まで月に一度集まっていた読書会は、zoomに移行し、そのままです。
この間にわたしの生活も変わり、「リアルに集まって」なら、もう参加は無理だろうなぁ。
数時間の読書会に参加するのに使う時間は「数時間」ではすまないものね。
そんなこんなに思いを馳せることもどうにかできるのです、「日誌」でも。
加齢で記憶力が減退したら、それもできなくなるのだろうけど(すでに、書いている作品名がコードネームで記録してあると「どの話だっけ?」となりがちです)……。
そのころには、詳細に記録された感情を読み返しても、ピンと来なくなっているのでしょう(くすん)。