9時から4時まで

夜9時に寝て朝4時に起きるgotomiwaが可能なかぎりつまらないことを書くためのブログです

「日誌」です。

今週のお題「日記の書き方」

 

はてな」のお題を見て、いろんなことを思い出してしまった。

 

中学生のころ、学級日誌に余白にまでびっちりと「何か」を書いたこととか(何を書いたのかは思い出せないけど)。

担任の先生(大好きだった)に「(同じ熱心さで)勉強もがんばって」と笑われたこととか。

ホントに、昔から「書くこと」が好きだったんだ。

そのくせ、授業で書く作文や感想文は、超がつくほど下手だった。

たまに評価されることはあったけど、それは「新しい視点だ」という理由で……。

老女になった目から当時のエピソードを眺めると、

「なるほど、作家向きだ」

とは思うけど……。

 

インターネットを利用しはじめたころ(すなわち「ホームページ」というものをホームページビルダーというなつかしいソフトで作っていたころ)……わたしは毎日、長い日記を書いていた……ネット上に。

はじめは、親しい人だけにこっそり開いているホームページと、公開用(いわゆる公式)のホームページを併用していたので、前者に書いた日記の中から「誰が見てもいい部分」だけ、後者にあげたりもしていた。

 

でもね。

そのうち、いろんなことがあって(詳細は割愛しますが)自分のことを話すのをやめてしまった……。

 

日常の一部を切り取って、こうしてブログを書いたり、twitterでつぶやいたりはしているけれど……気がついたら、仕事の報告もしてないし(最近、童話がひとつ誌上に載りました)。

「私生活」についてもかなり控えています。まぁ、そんなことを聞かされたってつまらないと思うしね。

 

公開の場だからそうなのか、というわけじゃなく。

今でもパソコンで日記をつけているけれど、実態は「日誌」です。

業務日誌というか、生活記録というか。

今日は講評をいくつ書いたとか、観た映画のタイトルとか(感想はほとんどなし)。

あとは、特筆したい……日時がわかるとのちに役立ちそうな情報くらい(「コストコに行った」とか「胃カメラを飲んだ」とか)。

 

誰々に何々といわれて悔しかった的な感情……特にマイナスの感情は書き残さないことにしているのです。

いつか(死後に?)発見されて「へー、こんなふうに感じてたんだ」と知られるのがイヤだから。

将来、家族や友人に見られてもいいと思えるようなことしか書かない、となると、「日誌」っぽいのは仕方ないですね。

 

(脱線。今、上の文章を書いていて、「悔しい」と感じたことが最近ないことに気づきました。どんなときに感じるんだっけ? どんな感覚だったっけ? ああ、これも老化かなぁ)

 

もちろん、日誌は日誌で役に立つのです。

日常の記録ですから。

最近の記録を遡ると、邦画ばっかり観ているな、「小松菜奈ちゃん祭り」だな、とか、そういうこともわかるのです。

 

学級日誌をびっちりと文字で埋めていた「あの子」が、数行の記録しか残さない老女生活を送っているなんて、ちょっと不思議な気持ちです。