今週のお題「日記の書き方」
「はてな」のお題を見て、いろんなことを思い出してしまった。
中学生のころ、学級日誌に余白にまでびっちりと「何か」を書いたこととか(何を書いたのかは思い出せないけど)。
担任の先生(大好きだった)に「(同じ熱心さで)勉強もがんばって」と笑われたこととか。
ホントに、昔から「書くこと」が好きだったんだ。
そのくせ、授業で書く作文や感想文は、超がつくほど下手だった。
たまに評価されることはあったけど、それは「新しい視点だ」という理由で……。
老女になった目から当時のエピソードを眺めると、
「なるほど、作家向きだ」
とは思うけど……。
インターネットを利用しはじめたころ(すなわち「ホームページ」というものをホームページビルダーというなつかしいソフトで作っていたころ)……わたしは毎日、長い日記を書いていた……ネット上に。
はじめは、親しい人だけにこっそり開いているホームページと、公開用(いわゆる公式)のホームページを併用していたので、前者に書いた日記の中から「誰が見てもいい部分」だけ、後者にあげたりもしていた。
でもね。
そのうち、いろんなことがあって(詳細は割愛しますが)自分のことを話すのをやめてしまった……。
日常の一部を切り取って、こうしてブログを書いたり、twitterでつぶやいたりはしているけれど……気がついたら、仕事の報告もしてないし(最近、童話がひとつ誌上に載りました)。
「私生活」についてもかなり控えています。まぁ、そんなことを聞かされたってつまらないと思うしね。
公開の場だからそうなのか、というわけじゃなく。
今でもパソコンで日記をつけているけれど、実態は「日誌」です。
業務日誌というか、生活記録というか。
今日は講評をいくつ書いたとか、観た映画のタイトルとか(感想はほとんどなし)。
あとは、特筆したい……日時がわかるとのちに役立ちそうな情報くらい(「コストコに行った」とか「胃カメラを飲んだ」とか)。
誰々に何々といわれて悔しかった的な感情……特にマイナスの感情は書き残さないことにしているのです。
いつか(死後に?)発見されて「へー、こんなふうに感じてたんだ」と知られるのがイヤだから。
将来、家族や友人に見られてもいいと思えるようなことしか書かない、となると、「日誌」っぽいのは仕方ないですね。
(脱線。今、上の文章を書いていて、「悔しい」と感じたことが最近ないことに気づきました。どんなときに感じるんだっけ? どんな感覚だったっけ? ああ、これも老化かなぁ)
もちろん、日誌は日誌で役に立つのです。
日常の記録ですから。
最近の記録を遡ると、邦画ばっかり観ているな、「小松菜奈ちゃん祭り」だな、とか、そういうこともわかるのです。
学級日誌をびっちりと文字で埋めていた「あの子」が、数行の記録しか残さない老女生活を送っているなんて、ちょっと不思議な気持ちです。