自分が覚えておくために書くのだけど、実際の作品内容について話すわけにいかないので、今日のブログは全編「たとえ」……というか、フェイク満載です。
「蜘蛛」を主人公に童話を書いてください、と依頼されました。
「承知しました」
「NO」といわないわたしは速攻で(その瞬間は何の案もないのに)引き受けます。
いつものことです。
引き受けてから考えはじめるのです。
蜘蛛の生態もザッと調べます。
「そうそう、うちの庭にも蜘蛛がやたら巣をかけて、毎朝のように引っかかるんだよねぇ」←竹刀の素振りのようにホウキをふりあげながら歩いてる
じゃあ、その体験を童話に仕立てよう。
毎日見ている庭が舞台だし、イケるわ。
やがて、蜘蛛のキャラが定まり、「相手役」も決まり、
「期日までには余裕で書けるわ、やったね!」
という気分になって……。
でも、ほかの仕事があるでのなかなか落ち着いて書き出せず、「モデルになる庭」を見ては「ああ、蜘蛛の話……」と毎日のように気にしつつ……。
時は過ぎていくばかり。
ある日、「気にしてるのもよくない、とりあえず書いてみよう」と思い立ちました。
なのに、書けないのです。
材料は全部手に入っているはずだし、「情景」も脳内に見えている(何しろモデルは自分ちの庭だし)……でも、全然しっくりこないのです。
書いてみても下手な作文みたい……「ストーリー」にならない感じ?
感情が描けない、というか。
一度あきらめ、もう一度庭を眺める……何かがアイデアを詰まらせている、とはわかるけど、何?
「ああ、蜘蛛の話じゃなかったら!」なんて、愚痴までいいそうになる(いいません。いっても何にもならない)。
違う、違うぞ、何かの要素が……わたしが「イケる」と思ったうちの何かが障害物になってるんだぞ。
そう感じるけど、理論的にというか理屈的にというか、「これだ」といえなくて。
(むちゃなアイデアではないはず。脳内プロットは成立するんだから)
ここに来て初めて(この作品の)「産みの苦しみ」が……。
結局どういう思考回路で解決したのか未だにわからないのですが、再挑戦として新たに書きはじめたら、瞬間的に答えが降ってきたのです。
「うちの庭を舞台にしたせいだ」
って。
ホント、理屈じゃなくて「感覚」って感じでした。
いろいろ変えてみたわけではなく、ピンポイントでそこに行きついた……。
依頼される作品には必ず、グレード(対象年齢)とか枚数(文字数)とか、「蜘蛛」のような題材指定とか、それ以外の注文とかが付随します。
たぶん、付随する要素が「うちの庭が舞台」ではクリアできなかったんだと思う……全要素を理解しているつもりで、「わかってるわかってる、できるできる」と思っていたのだな。
タカをくくっていた、といえばいいのかしら。
「うちの庭」という要素を変えた途端、水が流れるように、さーっと初稿が書きあがってしまった。
できていたはずの蜘蛛のキャラまでもが、生き生きしてしまった。
ラストの一文を書いたときには、感情移入して涙ぐみそうになったほど。
自分でも驚くような、状況の変化だったのです。
(驚いたので、こうして記事にしています)
もちろん、それは初稿にすぎません。
わたしの初稿は「たたき台」みたいなもの。
完成時にそのまま残っている文は、ほとんどないと思います(いつものことです)。
でも、それがないと何もはじまらないので。
作品として成立しそうで、そして締切にも間に合いそうで、心底安堵しているのでした。
・・・
ついでに。
人気作家さんはわたしと違って、理論や理屈で、はじめから「詰まり」を作らないんだろうなぁ、なんてことも思いました。
しかたない。
わたしは、こんなふうにしか書けないのです。
・・・
「降ってくる」のは散歩の効用もあるかもしれないから、感謝を込めて(?)朝の写真を張っときます。
UFOかな!? と思って撮ったもの。
蜘蛛と雲をかけたわけじゃないです。
このあと右上に伸びていったから、きっと飛行機雲。
こんな時間にも飛んでるのね。