先日、twitter(頑なにそう呼ぶ)に、こう書いた。
「この方、どういう人物かしら?」と、うまく間合いを計れずにいる方から『すてき原稿』が届くと、一気に「きゃあきゃあ」うれしくなってしまう…… あかん。 クールな講師に、わたしはなりたい。
そもそも、うれしくなっていいのか……?
そのあたりは「いいんです」といいづらい。
わたし自身は、すぐに好きになり、すぐに信じてしまう自分を、それなりに認めちゃって、許しちゃっているけれど。
それで騙されつづけていたことも何度かあるし、「すぐに信じちゃう」のは、相手に無関心だから(深く関わろうとしないから)かもしれず……。
つまり、欠点なのだろうとは思うのだけど。
添削講評の仕事は、それまで知り合う機会もなかった「赤の他人」の心の中……人柄と呼んでもいいかも……を垣間見る仕事だと思う。
(「仕事は……仕事だ」という悪文の例)
たまに、人生相談を受けている(カウンセリングしている?)気分にもなるくらい。
日々、その仕事をしているわけなので、「無関心ゆえに深掘りせず、すぐ好きになり、信じてしまう」くらいがちょうどいいのかもしれないなー、なんて思ったりもする。
恐ろしいのは、「書いた原稿で、誰かに好かれたりしてしまう」ってことだと思う(それは、イコール「嫌われる」こともある、なわけで…)。
にじみ出るというか……ごまかしきれないんだろうな、「書き手」としてのわたし、「講師」としてのわたしのことも。
「この人とお近づきになりたいわ」と思われる人間になって、それが文章からバレてしまう(いえ、にじみ出てしまう)……。
そうなりたいなーと考えている時点で、バレるのはその「なりたい欲」のほうだよなー……。
いろいろ考えたり、考え直したりする日々です。