自己肯定感という言葉が聞かれるようになって久しい(なんと具体性のない記述であろうか)のですが……たぶん、わたしは自己肯定の基準値(?)が低いほうだと思うのです。
「わたしにしては上出来」という自己肯定基準というか。
がんばっている人が「100点、せめて98点取らないと、自分が許せない」だとすると、わたしは61点でも、
「まぁ、(自分なりに)がんばったし、赤点(60点)じゃないんだからOK」
みたいな感じ、かな。
「自分ならもっとできるはず」と信じている人は日々つらいだろうなぁ、なんて思うんですが、実際はどうなんでしょう?
それはともかく。
61点でも平気なわたしですが、「したい」「しよう」「すべき」と思っていることをサボったとき(自分のサボりを自覚しているとき)はそれなりに落ち込みます。
自己肯定感が下がります。
……ので、最近は「赤点ライン」を下げておくという方法で、自分を守っている気がします(^^ゞ
「毎晩1時間、中級講座に取り組む」を目標にしたいのですが(ひそかに目標にしていたのですが)仕事だったり眠かったりでできない夜も多くて。
できないと落ち込む(わたしってダメなやつ、と思うと余計に動けなくなる)から、「週に3回でOK」とか「音読を1パートでもやれば合格」みたくしておくわけですね。
それでも続けていれば、先に進み、いつかゴールできるはずだもの。
わたしは、PCの中のファイルを「年ごと」にフォルダ分けしています。
いつのころからか、それが習慣になりました。
たとえば「2023年」のフォルダの中に、この年の仕事関係の文書も日記も書きかけの作品も入っている……という感じ。
(「日記」「作品」などはカテゴリに分けたフォルダにもコピーします)
最近、書きかけの作品が……「23年のフォルダの中にない! 削除した!?」と焦ったら21年のフォルダに入っていた、みたいな事件(心の修羅場)がありまして。
何年かかってんだよ! と呆れました。
わたしにとって、いちばん大事なことじゃないんかい?
以前から「余命宣告を受けたら、仕事はやめて、これだけをする」と言っているほどの。
そもそも、能力は少なくても、暇はたっぷりあるでしょう?
それなのに。
「わたしってダメなやつ」感であふれてしまう事態です。
この件に関しても「1行でも書けたらOK」とか「30分でも取り組めたら合格」とか、そういう低い基準を作っておかないと、落ち込んで、かえって動けなくなると思い、まず「2024年のフォルダ」内に移しました。
(正確には「移動」ではなく「コピー」、新たに整理して24年用のファイルにしました)
1行だって、30分だって、進めれば必ずゴールするはず。
完成させて、このフォルダから(つまり「今年こそ」)旅立たせねば。
某SNSに向けて。
更新が滞っているのに日々アクセスされていて、フォロワーさんが増えることさえあって、その数字を見ると更新できない(できないはずはないのに…な)自分にがっかりしてしまうので。
自分にがっかりする前に……自分をがっかりさせないために、今のわたしでもできる方法で進んでいかねば、と思うのです。