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夜9時に寝て朝4時に起きるgotomiwaが可能なかぎりつまらないことを書くためのブログです

21世紀最初(デビュー1年目)の春の日記

ふと思い立って、むかし公式サイト(今は存在しないです)にあげていた日記を読み返していたら、あれこれ興味深かったので、一部抜粋。

一部とはいえ長いので、お時間ができたときにでもおつきあいください。

話の都合上、時系列をひっくり返してコピペします。

 

文中の「ママがこわれた」はわたしのデビュー作です。

また「子とともに」は、今では誌名が変わったりしています。

PTA向けの雑誌、などと書いていますが、親と子で読む家庭教育誌、と説明するほうがいいかも? 

児童のみなさんも読みますので、童話が載ったりします。

当時は、文学賞の短編(つまり童話)部門の入賞作が毎月一作ずつ、掲載されていたのです。

では、コピペ開始。

 

2001年、3月28日の日記より。


「子とともに児童文学賞」は、愛知県教育振興会というところが出しているPTA向けの雑誌「子とともに」で作品が発表される児童文学賞です。
「子とともに児童文学賞の会」は、現在の選考委員長たかしよいち先生(初代は椋鳩十先生)が、入賞者に直接作品の講評をして、児童文学について語ってくれる、創作の勉強にはたいへん貴重な場です。
今年も、その会に出かけてきました。
でも、いざ書こうとすると、何からどうやって書いていいのかわかりません。
わたしの作品は、「マミーズ・ダイアリー」。中学生ものの50枚、です。
佳作に過ぎませんから、いろいろ「難」はあるのですが、たかし先生はあったかく、「誉め言葉」を基本に講評を進めてくださいますので、先生の言葉に傷ついたり落ち込んだりということはありません。
自然に、来年もここに来られるようにがんばるぞっていう気持ちにさせられてしまいます。
でも、今年は、いろいろと、重いことがあって、帰り道、心は「ずしん」としていました。足取りも、だんだん重く…。
久しぶりに硬い靴(いつもはウォーキングシューズばかり)を履いて歩いたので、両足の踵に靴擦れができて、出血状態だったせいもあるのですが(これにはまいりました)。
重い気持ちの原因。
まずひとつは、予選委員である某先生が、昨年末に亡くなられたと聞いたこと。
初めてこの会に出た二年前、わたしの(長編部門佳作に過ぎなかった)作品を誉め、励ましてくださったのがその方でした。「ママがこわれた」をお贈りし、「デビューしましたよ」と報告したかったのですが…。
(中略)
それから、まだある「重さ」の原因。
たかし先生は、もちろん、デビューしたわたしを励ましてくださって、とってもとってもうれしいのですが、その明るく元気な励ましの言葉が…重いのです。
「これからはプロ意識を持って」
「いつも80点は取れないとダメ」
80点。
常に最終選考レベルの作品を書かないと、ダメなんだろうなぁっていうのが、わたしの印象です。
でも、たかし先生ってすごい。
短編の最優秀とはいえ、一昨年の作品だった「もも色のかべ」や、昨年の佳作の「ジャングルジムはたまご色」をちゃんと覚えてくださっていて、未だに誉めてくださるんですよ。
なんか、面映い感じさえします。
童話賞の選考委員の中には、「終わった順に忘れていく」とおっしゃる方もいらっしゃるのに。
それから、もうひとつ。
担当者の方々に(やっぱり気になっていたので)「短編書かせろなんて電話して、すみませんでした」という意味のことを、いいました。
まだ、依頼されると決まったわけではありませんが、担当の方はちゃんと、わたしのあのキョーフ(先方にとって)の電話を覚えていてくださって、ホッとしました。
「(依頼するとしたら)依頼から締め切りまで一ヶ月ですよ(書けますか。プロの仕事ができますか)」
と、いわれました。
正直、これがいちばん重いかもしれません。
依頼されなくてもつらいでしょうが、依頼されればされたで、すごいプレッシャーが来そうです。
ああ、でも、逃げたくないなぁ。
そんなこんなで、本当にとぼとぼと、家路についたのでした。

 

遡って同年、2月23日の日記

人間、歩いていると、いろんな「考え」が浮かぶものですね。

(中略)
わたしはもともと、アイデアを練るために、歩き回ったりするタイプなのですが、ふと…本当にふと、考えたんです。
もう公募に出せないなら、仕事を探せばいいじゃないか。
って。
昨日の日記にも書きましたが、「子とともに」の短編の入賞者は、今年は少なくて、8人。8か月分しか作品がありません。
でも、一年、12か月分、「親と子の童話館」という掲載枠はあるのです。
(中略)
わたしは、決めたら、深く考えずにやってしまう性格です。
直感で生きている、ともいいます。
思慮浅いことでは、右に出るものがいないわたしなので、帰宅してすぐ、「子とともに」の担当者の方に、電話をかけました。
掲載作品が入賞作だけでは足りないけれど、どうするのか、ということを聞き、「どなたかに依頼をします」といわれたので、もう決定しているのか、と聞き、「まだ正式には」といわれたので、
「わたしに書かせてください」
と…。
はっきり言って、担当者の方は面食らったと思います。
電話の向こうで、上司の方(?)と相談されている時間が長かったです。
そんな電話をしてくる応募者、今までにいなかったのかもしれません。
最初のうちは、こちらも緊張していて、しゃべり方にすごくドスが効いてたので、担当の方は「ビビっていた」かもしれないです。
でも、いいたいこといっちゃったら、急におかしくなって、話しながら笑ってしまいました。
これから、上のものと相談して決めます、とのことでしたので、
「ずうずうしくて申しわけありません、よろしくご検討ください」
といって、電話を切りました。
自分がやったことがあまりにおかしくて、電話の最後ではへらへら笑っていたのですが、切ってから、しばらくの間、がくがく震えてしまいました。
男の子に愛の告白するより、エネルギーを使ったんじゃないかと思います。
電話嫌いのわたしが、よくもまぁって、自分で思います。
それも、問い合わせだけじゃなく、「書かせろ」ですもんね。
こんな電話で依頼が来るかどうかはわからない…というより、どちらかといえば、気味悪がられただけじゃないかって思うけど…それに、地元には作品を依頼できるプロの方がいっぱいいるので、わたしにお話が来る可能性はとても低いんですが、どうせ来ないなら、「待ってるだけ」よりいいと思って。
今日は、行動できた分だけ、自分を誉めようと思います。

 

 以上です。

くりかえしますが、19年前の日記です。

アップ当時に整理しているし、今回も関係ない部分は略していますが、自分のメンタルというか、考え方もやってることもあまりに「変わってない」ので驚いています。

(もはや「笑える」といってもいい……)

 

たかしよいち先生の言葉も、今も胸にあります。

80点を取れているかは……うう、どうかな?

 

このときの行動がご縁で、今でも誌上に作品を書かせていただいています。

それが何より、とてもありがたいです。