先日、リモートで、デビュー前のことなどをお話しする機会があったのですが……
公募時代……つまり、童話を書いてコンクールに応募して、というのをくりかえしていた時代……わたしがしょっちゅう恐れていたのは、
「これが最後の作品で、もう二度と書けなかったら(何も思いつけなかったら)どうしよう」
ということでした。
いわゆる「ネタ切れ」という意味もあるし、ネタがあっても作品にできない(文章にする力、構成する力が消えてしまう)という意味も。
ほんとにほんとに、それが恐かったんです。
落選より恐かったな。
(落選すること自体は、そりゃしないに越したことはないけど、「恐い」という感覚はなかった気がする。そもそも落選がデフォだし)
一年に何十かの童話を書いて(応募して)、見るもの聞くもの、何でも童話に変換している※感じがしていたころです。
それでも、たびたび怖がってた。
極度に心配してた、というほうが近いかも。
(※ だからわたしは未だに「身のまわりのモノすべてが童話の種になるよ」といっています。…そうしようとすれば、ですけどね)
気がついたら、それから20年たっていて。
活字になったもの、ならなかったもの(いわゆるボツ)、書き上げられなかったもの(書く書く詐欺)……そんな違いはあれど、物語を思いつき続け、書き続けているわけです。
(さらに、仕事とは関係なく書いて公開しているし)
だって、世界が、人物が、その言動が見えちゃったら、追いかけて観察するのが楽しくてたまらないし、書き留めずにいられないし。
(正直、文章を書くのは苦手。めんどくさい。特に、地の文。最初に書いたのが最後まで残ることは滅多になくて、えんえんと、ちまちまと、単語単位で修正をくりかえしている自分がウザい)
聞かれて、言葉にして、昔を思い返し……
「これが最後かも」と、おののいていた当時を懐かしみました。
20年前に戻って「大丈夫だよ、あんた、この先もしつこく書いてるよ」と言ってやりたい気分ですよ、ははは、みたいな。
これ、生まれついての体質だよね、へへへ、みたいな。
でも、20年たった今では、別の意味で「最後の作品」に近づいてるよね。
意識してそうするか、脳や心臓が勝手にピリオドを打っちゃうのか、それがいつになるかもわからないけど。
それまでは、のんびり(ときにはガツガツ?)物語を創り続けていくんじゃないかと思います。