お友だちから「RosaとKernel」という詩誌をいただきました。
どうもありがとうございます。
……といっても、わたしは詩に造詣が深くない(それどころか浅い……いや盛り上がってるかも?)……ゆえに、ちゃんとした感想を書きたくて記事にしたわけではありません。
一応、わたしも、20代の初めまでわんさか詩を書いておりました。
生まれて初めての「公募入選」は中学3年生。
「旺文社学芸コンクール」……詩で佳作をいただきました。
20代には、手作りのコピー詩集を作ったこともありました。
それでも、鑑賞能力はないです。
そんなわたしの手元に詩誌……申し訳ない気持ちです。
勝手に引用できないので以下のような書き方になりますが、この詩誌の中に、
「幼い子にせがまれて、てのひらにぞうさんを描いた」
という出来事を語った作品がありました。
とても素敵な詩だと思いつつも、この記事はその話でもなく……(すみません)。
ポン! と蘇ってきた記憶があるのです。
幼いころ、わたしはよく、父に時計を描いてもらいました。
手首に、ペンで。
腕時計の絵です。
そのころの父はサラリーマン(営業マン)。
背広を着て腕時計をはめて、会社に行く人でした。
わたしは、自分も腕時計を身につけてみたかったのでしょう。
手首の表側に時計を描いてもらったことは、一度や二度ではなかったと思います。
アナログなその時計の針が示す時刻は、いつも3時(もちろん「午後」の)。
子どものわたしにとって「いちばん好きな時間」だったのだと思われます。
今の父は認知症で「短期記憶」はあやしいけど、昔のことなら覚えているかもしれません。
父にとってはどうでもいい記憶だと思うので、健康でも覚えていなかったかもしれません。
わたしにとっても、そんなに重要な記憶ではないはず。
何十年も忘れていたのですから。
そしてこの先、また忘れるでしょうから。
でも、「忘れる」と「失う」は違うのでしょうね。
いつかまた何かのきっかけで、父からもらった(?)アナログ腕時計を、ポン! と思い出す日が来るかもしれません。