昨日だったか、twitter(あー、Xですが)のトレンドに、人生でいちばん多く劇場で見た映画、みたいなハッシュタグがあって、衝動的に書こうと思ったけど……やめました。
今、ここに書くと、おそらく単体では、
「TIGER&BUNNY The Rising」
だと記憶しています……11回、だと。
(シリーズ全部と考えると「ロード・オブ・ザ・リング」のほうが多いかも……いや、タイバニももうひとつの映画に通った数を合わせたら、勝っちゃうかな)
TIGER&BUNNY以降なら、「オデッセイ」や「ボヘミアンラプソディ」「シン・ゴジラ」に「通って」いますが……
ホント、そういうものがなくなってしまった。
コロナ禍で「劇場に行く」ということ自体から遠ざかってしまったのですが、本気で見たければ、通っているはず。
なんていうか……自分が「枯れて」(涸れて)しまったんじゃないかなって……淋しくなるのです。
何度も観たい「映画」だけじゃなく、好きな人、好きな曲、好きな本、好きなお菓子(!?)……そういうものに出会えないことが。
出会っているかもしれないけれど、トキメけず、のめりこめないことが。
これこそが、老化なのかも。
劇場には行っていないけど、配信では何度も観ている映画があります。
「シン・ゴジラ」と「罪の声」(小栗旬さんと星野源さんが主演)です。
ボーッとしたいときに、アマプラに探しに行ってボーッと観ます、観たいところだけ(正確には、悲惨なシーンは飛ばして、かな)。
でも、これって、「萌え」とか「推し」とかいうのとは違うと思うんですよね……。
わたしがいま欲しい(というか「なくて淋しいなぁ」と思っている)のは、そのような名称で呼ばれる「何か」なのです。