9時から4時まで

夜9時に寝て朝4時に起きるgotomiwaが可能なかぎりつまらないことを書くためのブログです

おれの話を聞け(1時間くらい)

「変わってるねー」と同業者さん(作家さんですよ)に言われ慣れてしまった添削講師、gotomiwaです。

 

先日、お預かりしている作品を読みながら、ふと思ったんです。

「わたし、こういうことするの、好きじゃなかったよね?」

 

まだ添削の仕事を始める前……

当時は「ホームページ」の時代で、児童文学作家でHPや掲示板を持っている人は数えられるくらいしかいなかったせいか、

「原稿を読んでもらえませんか?」

的な問い合わせをいただいたことが何度かあります…。

たぶん一度か二度、断れずにお受けしたことが…。

 

生原稿は(手書きはもちろんワープロで作られていても)書籍に比べたら、読みづらい。

内容の巧拙に関係なく、書籍よりは読みづらいと思います(っていうか、書籍に慣れてるってだけのことかも、ですが)。

当時のわたしがどんな講評(感想?)を返したのか、もう全然覚えていないけど、原稿に同封されていた返信用の送り状は目に浮かぶから、「お受けしたこと」は確かなのです。

 

でも、そのときに「こういうことって楽しいな」と思った記憶はない…。

添削の仕事をはじめた当初も、何をどうすればいいかわからなくて、右往左往した記憶しかない…。

 

いつから、「添削、楽しいです」といえるようになったのか。

(そしてそのたび、「変わってるねー」といわれるようになったのか)

思い出せません。

あるひとつのきっかけ、というより、徐々に洗脳(?!)されていったんだと思います。

 

 

添削講評を仕事にしていると、

「(アマチュアの人たちに)エラソーにしたいんでしょ?」

と思われることもある……っていうか、そんなこという人もいるらしいです。

もしかしたら、すでにわたしが「エラソー」に見えている可能性もあります。

「おれの話を聞けー」みたいにね。←5分だけでいいのか?

 

でも、自分の感覚では、読んで添削できるのが「好き」「楽しい」なんですよね。

なにか、そこに、自己欺瞞、みたいなもの、が、潜んでいるのかなぁ…。

ときどき、それを疑ってしまうんだけども。

 

ときどき疑いつつ、求められるかぎりは続けます。

ひとつの原稿について、作者さんと向きあって(並んで、でもいい)じっくりびっしり、添削してみたいって思うこともしょっちゅう、ある。

5分じゃ無理。

一時間くらい。

そういうのを仕事にしたら、お客さまは現れるんだろうか。

わたしが楽しいからっていうのも、どうかと思うけど。

 

(現在はどんな形でも「無料で作品を読む」ということは一切していません。助言しない、ではなく、読むこと自体、しません。対価を払ってくださる受講生さんに対して不誠実だと思うからです)

 

これ、ドラマの主題歌だったの?

そして、ずっと「おれの話を聞け」というタイトルだと思っていた…(てへっ)

 

www.youtube.com

朝の花束

今朝書いた記事がどうにもキマらないので(そんなこと求められていないと思うけど)代わりに花束を。

 

小松菜です。

 

たまにネットで話題になってた、バラの花。

これを見たくなると、根元を切り落としてしまう…。

(通常は違う切り方をしています)

 

この冬は野菜が安くて(育ちも良くて)とてもありがたい。

けど、育ちすぎて(安くなりすぎて)困っている農家の方もあるでしょう(捨てないですむ方法があるのかな)。

 

消費者的には近々しっぺ返しをくらうんじゃないかと思い、そろそろ喜べなくなっています。

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スムージー用に買ったけど、お味噌汁に転用した。

 

(恐怖の!)歯科医院

タイトルの件ですが、歯医者さんの治療が怖い、という意味ではありません。

以前、こんな記事を書きました。

gotomiwa.hatenablog.com

いえ、この記事はプンパーニッケルとも関係がありません。

でも、同じことが……もっと怖いことが起こったのです。

 

 

先日、上の娘とドライブをしました。

特に目的もない旅で、隣県まで。

適当に買い物などして、その途中、信号待ちの交差点で歯科医院の広告の看板を見つけたのです。

非常に特徴的な建物の外観で、医院名もお医者さん自身の名や地名ではなく…。

「すごいとこだね」

と、娘にいったのは覚えています。

 

だけど、それだけ。

その歯科医院のサイトにも行っていないし、いえ、ググってもいないし、それどころか声に出して呼んでもいない…。

(ゆえに、盗聴疑惑は排除)

 

なのに、さっき、パソコンのモニター(ブラウザ)上に広告として登場したのです。

 

怖いよー。

次にいつ行くかわからない遠い町、その町の歯科医院だよー。

縁もゆかりも虫歯もないよー。

 

唯一考えられるのは、帰宅後に娘がググり、それをルーターさんが覚えていて(?)「この歯科医院のこと、もっと知りたいでしょ?」と忖度した…?

(プンパーニッケルのときも娘が一緒だったからなぁ)

 

広告をクリックしたり名前をググったりしたら、広告の登場回数が増えてしまうので、見なかったふりをしますけれども、ホントにビビりました。

理由なんか、もう、どうでもいいけど、驚きたくはないです。

こういうのは、やめて。マジで。

 

 

恐怖を和らげるために、ドライブ先での画像をあげておきます。

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ブリ大根、煮ました!

お口にチャック

某ハリウッド映画を見ていたら、主人公が「お口にチャック」をしていたわ。

これは、欧米(どこだ?)が発祥だったのかしら。

 

このブログも「下書き」が溜まってきました。

書いてみたのはいいけれど、あまりにつまらなすぎたり、うまく説明できなかったりして「公開」をためらい、そのままになっている記事たちです。

ためらって、そのままになって、それっきりになって、結局削除したものもありますから、いま溜まっている以上の数、書いたことになります。

 

こんな「つまらないことが主」のブログで、公開をためらうなんて…。

つまり、記事のクオリティを問題にするなんて、矛盾してる気もしますけど。

 

 

最近書いてみた記事は、わたし的にちょっとめずらしい「下書き」になりました。

結局削除しましたが、それはクオリティ云々以前に、

「(わたしの立場で)これを人前に出すって、どうよ?」

と思うテーマだったのです。

「お口にチャック」しておけ、といいたくなるような。

 

ブログをはじめて一年以上。

毎日休まずにひとつかふたつの記事を書いて、一年近く。

「こんなものを書くようになったのか」(慢心か!)(あかんやろ!)

と、自分に対してハッとしたという記事です、これは。

 

 

それにしても、毎日ひとつかふたつ、つまらないことを思いつけるって……

わたしの日常って、つまらないのかな。

わたしはけっこう楽しいんだけどな。

Estas egale al mi.(どちらでもいい)

娘が受験生のころは、トイレの壁一面に年号を書いた紙が貼られていました。

最近では、わたしが貼っております。

 

この冬から、エスペラント語の勉強日(?)をひとつ増やしたのです。

で、このひと月は「E」ではじまる単語を覚えていたわけです。

例文を書いた紙を壁に貼って。

 

エスペラント語の勉強は「穴の開いたバケツに水を注ぐ作業」。

老化防止なのですが……老化は確実に進行してるようです。

家では覚えたつもりでも、その場になると出てこないんですよね、口から。

(ん? それは10代のころでも同じだったかな?)

 

2月の勉強会は、本当は今日。

家族の用事で急きょ欠席になってしまったので、がんばって自習します。

自習の一環として(?)この記事を書いています。

一応、ソラで書けましたよ、タイトルを。

 

E関連で「離婚する」という単語も書いておいたので、夫はトイレでギョッとしかたもしれません。

 

ちなみに「どっちでもいい」は夫の回答方法の定番で、実際は「ほぼ肯定」です。

(「要る?」「する?」「食べる?」などと聞いたとき、答えが「どっちでもいい」なら「はい」という意味だってこと)

それに気づくまでの何年間かは、ずいぶんイライラさせられたものです。

「どっちでもいい」って「どっち」なのよ? ってなるもんね。

気づかなかったら、まさに離婚の引き金になったかも。

 

Estas egale al mi.(わたしはどちらでもいい)

は、自分にとってはどちらの選択も等しい、という感じで(「マジでどっちでもOK」ってことね)夫語によるところの「(ほぼ)はい」ではないと思われます。

創作教室、あと1回。

あと1回残っているのだから「終わったような気分」になっては(絶対に)いけない創作教室。

勝って兜の緒を締めよ。(勝ち負け関係ない)(兜、かぶってない)

 

一年間、台風の影響も(直接は)なく、雪にやられることもなく、奇跡のように11回目まで過ぎました。

 

2月(前半)の創作教室は、わたし以外全員マスクをかけての、ちょっと怪しげな情景でしたけど。

新型肺炎、早く終息するといいですね。

もっとも、来月はわたしが花粉にやられているかも。

地元では軽くなったスギ花粉の症状ですが、昨年3月の上京時には結構つらかったのです。

 

以下、半分業務連絡ですが。

 

最終回を迎えるにあたって、

「疑問質問があったらメールしてください」

と、参加者の方にアドレスをお伝えしました。

個人的なことは個別に、共有したほうがいいと思うことは3月に講座の場で回答しようと思います。

欠席された方や、gotomiwaのメールアドレスがわからんという方は、どなたかに聞いてください。

(この先一週間は外出や来客で返信等遅めかもしれないけど、お許しください)

 

グループレッスンには良い面もいっぱいなんだけど、受講生さんは創作歴も目標も違うし、時間的な制約もあって…。

「ああ、この原稿は直接『添削』するほうが伝わりそう」と思う作品も、多々だったし…。

今さらですが、もっとうまくやれたのでは? と思ったりもしています。

きっと、やれなかったんだろうけど。

 

というわけで、

「こんなこと聞いていいんだろうか」

と躊躇することなく、聞いてください(自身の経験、見聞の中から回答するので、お答えできない問題もあると思います)。

 

69期の方も、ここをごらんになったら、どうぞ。

講師※は最後まで使い倒そう!(※gotomiwaに限る)

 

 

3月、花粉症といえば。

ボヘミアン・ラプソディ」を歌いに上京したのが昨年3月。

(そのときの経験で、東京のほうが花粉が多いと書いているわけですが)

昨夜は時間的に遅くて、声に出して歌ってもいいくらい(いや、あかん)ひと気がなかったので、例によって「ママー」から口ずさみはじめたのですが、途中で一行歌詞が飛んでしまって。

自分の記憶力の脆弱さにがっかりもしました。

 

でも、最後の「じゃーん」で家の前に着けると、いい気分♪ ←お手軽。

21世紀最初(デビュー1年目)の春の日記

ふと思い立って、むかし公式サイト(今は存在しないです)にあげていた日記を読み返していたら、あれこれ興味深かったので、一部抜粋。

一部とはいえ長いので、お時間ができたときにでもおつきあいください。

話の都合上、時系列をひっくり返してコピペします。

 

文中の「ママがこわれた」はわたしのデビュー作です。

また「子とともに」は、今では誌名が変わったりしています。

PTA向けの雑誌、などと書いていますが、親と子で読む家庭教育誌、と説明するほうがいいかも? 

児童のみなさんも読みますので、童話が載ったりします。

当時は、文学賞の短編(つまり童話)部門の入賞作が毎月一作ずつ、掲載されていたのです。

では、コピペ開始。

 

2001年、3月28日の日記より。


「子とともに児童文学賞」は、愛知県教育振興会というところが出しているPTA向けの雑誌「子とともに」で作品が発表される児童文学賞です。
「子とともに児童文学賞の会」は、現在の選考委員長たかしよいち先生(初代は椋鳩十先生)が、入賞者に直接作品の講評をして、児童文学について語ってくれる、創作の勉強にはたいへん貴重な場です。
今年も、その会に出かけてきました。
でも、いざ書こうとすると、何からどうやって書いていいのかわかりません。
わたしの作品は、「マミーズ・ダイアリー」。中学生ものの50枚、です。
佳作に過ぎませんから、いろいろ「難」はあるのですが、たかし先生はあったかく、「誉め言葉」を基本に講評を進めてくださいますので、先生の言葉に傷ついたり落ち込んだりということはありません。
自然に、来年もここに来られるようにがんばるぞっていう気持ちにさせられてしまいます。
でも、今年は、いろいろと、重いことがあって、帰り道、心は「ずしん」としていました。足取りも、だんだん重く…。
久しぶりに硬い靴(いつもはウォーキングシューズばかり)を履いて歩いたので、両足の踵に靴擦れができて、出血状態だったせいもあるのですが(これにはまいりました)。
重い気持ちの原因。
まずひとつは、予選委員である某先生が、昨年末に亡くなられたと聞いたこと。
初めてこの会に出た二年前、わたしの(長編部門佳作に過ぎなかった)作品を誉め、励ましてくださったのがその方でした。「ママがこわれた」をお贈りし、「デビューしましたよ」と報告したかったのですが…。
(中略)
それから、まだある「重さ」の原因。
たかし先生は、もちろん、デビューしたわたしを励ましてくださって、とってもとってもうれしいのですが、その明るく元気な励ましの言葉が…重いのです。
「これからはプロ意識を持って」
「いつも80点は取れないとダメ」
80点。
常に最終選考レベルの作品を書かないと、ダメなんだろうなぁっていうのが、わたしの印象です。
でも、たかし先生ってすごい。
短編の最優秀とはいえ、一昨年の作品だった「もも色のかべ」や、昨年の佳作の「ジャングルジムはたまご色」をちゃんと覚えてくださっていて、未だに誉めてくださるんですよ。
なんか、面映い感じさえします。
童話賞の選考委員の中には、「終わった順に忘れていく」とおっしゃる方もいらっしゃるのに。
それから、もうひとつ。
担当者の方々に(やっぱり気になっていたので)「短編書かせろなんて電話して、すみませんでした」という意味のことを、いいました。
まだ、依頼されると決まったわけではありませんが、担当の方はちゃんと、わたしのあのキョーフ(先方にとって)の電話を覚えていてくださって、ホッとしました。
「(依頼するとしたら)依頼から締め切りまで一ヶ月ですよ(書けますか。プロの仕事ができますか)」
と、いわれました。
正直、これがいちばん重いかもしれません。
依頼されなくてもつらいでしょうが、依頼されればされたで、すごいプレッシャーが来そうです。
ああ、でも、逃げたくないなぁ。
そんなこんなで、本当にとぼとぼと、家路についたのでした。

 

遡って同年、2月23日の日記

人間、歩いていると、いろんな「考え」が浮かぶものですね。

(中略)
わたしはもともと、アイデアを練るために、歩き回ったりするタイプなのですが、ふと…本当にふと、考えたんです。
もう公募に出せないなら、仕事を探せばいいじゃないか。
って。
昨日の日記にも書きましたが、「子とともに」の短編の入賞者は、今年は少なくて、8人。8か月分しか作品がありません。
でも、一年、12か月分、「親と子の童話館」という掲載枠はあるのです。
(中略)
わたしは、決めたら、深く考えずにやってしまう性格です。
直感で生きている、ともいいます。
思慮浅いことでは、右に出るものがいないわたしなので、帰宅してすぐ、「子とともに」の担当者の方に、電話をかけました。
掲載作品が入賞作だけでは足りないけれど、どうするのか、ということを聞き、「どなたかに依頼をします」といわれたので、もう決定しているのか、と聞き、「まだ正式には」といわれたので、
「わたしに書かせてください」
と…。
はっきり言って、担当者の方は面食らったと思います。
電話の向こうで、上司の方(?)と相談されている時間が長かったです。
そんな電話をしてくる応募者、今までにいなかったのかもしれません。
最初のうちは、こちらも緊張していて、しゃべり方にすごくドスが効いてたので、担当の方は「ビビっていた」かもしれないです。
でも、いいたいこといっちゃったら、急におかしくなって、話しながら笑ってしまいました。
これから、上のものと相談して決めます、とのことでしたので、
「ずうずうしくて申しわけありません、よろしくご検討ください」
といって、電話を切りました。
自分がやったことがあまりにおかしくて、電話の最後ではへらへら笑っていたのですが、切ってから、しばらくの間、がくがく震えてしまいました。
男の子に愛の告白するより、エネルギーを使ったんじゃないかと思います。
電話嫌いのわたしが、よくもまぁって、自分で思います。
それも、問い合わせだけじゃなく、「書かせろ」ですもんね。
こんな電話で依頼が来るかどうかはわからない…というより、どちらかといえば、気味悪がられただけじゃないかって思うけど…それに、地元には作品を依頼できるプロの方がいっぱいいるので、わたしにお話が来る可能性はとても低いんですが、どうせ来ないなら、「待ってるだけ」よりいいと思って。
今日は、行動できた分だけ、自分を誉めようと思います。

 

 以上です。

くりかえしますが、19年前の日記です。

アップ当時に整理しているし、今回も関係ない部分は略していますが、自分のメンタルというか、考え方もやってることもあまりに「変わってない」ので驚いています。

(もはや「笑える」といってもいい……)

 

たかしよいち先生の言葉も、今も胸にあります。

80点を取れているかは……うう、どうかな?

 

このときの行動がご縁で、今でも誌上に作品を書かせていただいています。

それが何より、とてもありがたいです。