9時から4時まで

夜9時に寝て朝4時に起きるgotomiwaが可能なかぎりつまらないことを書くためのブログです

BIG LOVE! 谷山さん@「MIU404」

「MIU404」の話です。

以下「かわいい」と「かっこいい」しか出てこない気がします。

 

先日最終回を迎えてしまったドラマ「MIU404」については言いたいことがいっぱいあるんだけど、わたし、感想とか批評とか紹介文とか苦手なので書きません。

視聴されていた方にしか通じない(理解はされないかもしれない)ハナシを、以下、説明抜きで書きます。

 

この作品、愛すべき主役のふたり、伊吹藍(綾野剛)と志摩一未(星野源)が愛されるのは当然。

九ちゃん(かわいさの権化)や陣馬さん(かわいさの権化)が愛されるのも当然。

桔梗隊長は、超絶クラクラするほどかわいいし(演じるのは麻生久美子さん)。

忘れてはならない適役の敵役、久住こと本名不詳の菅田将暉もすごかった……

 

彼らのことがネットのレビューで上がるのは、当然中の当然。

わたしも楽しく読んだり、「えー、そうかなー」と横目で見たりしています。

 

でもさー、誰か語ってくれた?

わたしが出会えないだけ?

今まで、そんなレビューを見たことがないから書きます。

 

谷山副隊長!

素敵。

素敵すぎる。

 

桔梗隊長の性別や年齢なんて何とも思ってない(っていうか、ちゃんと実力で隊長と認めている)あの有能な従者感!

まじめで公平で誠実な人柄なんだなってことがにじみ出てる、いや、ダダ漏れてる。

桔梗隊長に「谷山さん!」って命じられて、挙手しながら答える姿なんかも好きだ。

 

セリフはすっごく少ない(登場しない回もある)。

桔梗隊長はともかく、それ以外の主要メンバーとの個人的な絡みもない(一緒にうどんを食べたりもしない)。

番組公式サイトのキャラ表にさえ載っていない……orz

それでも心から頼りになる、従者の中の従者でした(いえ、副隊長です)。

 

伊吹も志摩もかっこいいよ。いうまでもないよ。

だけど、谷山さんのかっこよさも忘れないでほしいのです。

職場には絶対、ひとりは必要な人だと思います。

 

あ、演じてらっしゃるのは坂田聡さんです。

 

世界征服をあきらめるとき

民生委員として、あるいは(今年度限定)町内会長の妻として、市に対応を求めるべき雑多な案件に出会うとき、考えてしまうんです。

「市議会議員になったろか」

 

そうすれば、持ち込まれた案件を市役所のどの課の誰に持っていけばいいか、迷わずにすむんじゃないかしら。

その場で答えもわかるんじゃないかしら。

なんて。

 

今のところ、

「市役所の担当部署を探して、連絡してみます※。回答があったら伝えますね」

みたく答えるしかないし。

回答があるまでは宙ぶらりんな気持ちだし。

わたしがその場で判断して「じゃ、こうしとくね」と答えられないもどかしさよ。

わたしは、いらち。←せっかちって意味です

 

(※ 以前はお役所の窓口って「上から目線」なイメージでしたけど、今はサービス業っぽくなっていて、心安らか。連絡そのものを渋る気持ちはありません)

 

とはいえ、議員になろうが市長になろうが、何でも自分で決めたり命じたりできるわけじゃないんですよね(それは知ってる、さすがに)。

 

だったら、世界征服して世界のトップに立つしかない(?)。

そうすれば、

「すべてわたしが判断する、従いなさい」

っていえるでしょ。

いらち……即断即決型のわたしとしては、なかなか気持ちいいのでは……?

 

 いや、待って待って。

征服しちゃって、すべてわたしが判断することになったら、

「ああしてくださいよ」

「こうしてくださいよ」

「できるんですか?」

「ダメなんですか?」

「なんで?」

「もう! さっさと決めてくださいよ、宙ぶらりんな気持ちですよ」

って四六時中、誰かがいってくるんでしょうか?

 

それは困る。

たまに来る案件だけでも「はー、やれやれ」ってなるのに。

世界征服はしないほうがいいのかも?

あきらめ気味に、しばらく悩もう……

 

・・・

 

参考図書。

読んだはずなのに、手元にない……

www.chikumashobo.co.jp

童話創作Q&A

「あなたはどんなふうに童話を書いているのですか?」

 

受講生さんから、このような質問をされることがあります。

発する方によって問われ方(言葉の選び方)のバリエーションはいろいろですが、ざっくりまとめれば上記になるのです。

 

Q&Aは大好き。

聞かれるたびに喜々として※回答します。

(※ 自己顕示欲の暴走?)

 

最近、そのような質問を受けて、回答の過程で気づいたことが。

 

「この質問、どう答えればいいかなー、たいてい『自然に』できあがっちゃうもんなー」

と思っていたのですが、作品によってはけっこう細かい工程があるというか……取捨選択みたいなことをしているようです。

 

ちょっと前に書いた作品……

「依頼時の条件がAだから、舞台をBに設定して主人公はCに決め、発表媒体がDだから、Cにふりかかる試練(障害)はEが適当で、Eの解決を結末とするなら、Cの性格設定はFでなくては…」

こんな流れでできあがった(それがをはっきり意識できた)ものがあるのです。

ほんと、最後の最後までこんな感じで作りました。

 

このように「完成に至る選択の道筋」が解説できるのは(わたしには)めずらしいことなので、またいつか質問を受けたときのために、ひとつの回答パターンとして整理しておこうかな、なんて思っているところです。

 

常に高いクオリティを保てる作家さんは、いつでもこうして「流れ」をたどり、さらに深い階層まで計算をしているのかもしれません。

わたしもある程度まではしているのかもしれないけど、無意識みたいだし。

無意識ってことは意識できてないわけで。

だから、「うん、考えてるうちにパーッとできちゃった」みたく思っている……

 

Q&Aは大好きです。

質問内容で、その受講生さんのことがわかることも多々、ですしね。

(そんなことを気にしてるの? いらんいらん、みたいなこともよくありますョ)

だから、Q&Aを大事にしてる……つもり。

 

でも、回答することで「自分」が見えてくることがあるから、Q&Aが好きなのかもしれません。

(いや、「おれの話を聞け」的な欲に過ぎないのかもしれないけども)

推理小説は……嫌い。

この数日、意識して仕事から離れていました。

各所との最低限のメッセージのやり取りはしましたが、いくつか手元にある「期限つきの仕事」はどれも手付かずです。

 

元祖テレワーカーですから(←?)曜日も(盆も正月も)何も関係なく「だらだら」仕事をしてしまいがち。

「夜は仕事をしないぞ」とたびたび口にしているのも、きりがないからです。

 

仕事を「お休み」にした週末の最後の夜、時間があったので、PCさえさっさと閉じて、午後のうちに1割ほど読んでいた本の続きを開きました。

数時間で寝落ちして、その時点で約3分の2。

 

寝落ちした時間が早かった(いつもの就寝時間だった)せいか、未明に目が覚めまして。

改めて寝るか、このまま起きだしてPCの前に行くか、迷った末、布団の上で続きを読みました。

 

読了したのは、今朝4時半。

久しぶりの長編推理小説

初めて手に取る作者の、某シリーズの第一作目でした。

 

今日からは仕事に戻るわけですが、今、

「だから小説を読むのって嫌いなんだよ」

とグチグチ言いたい気分です。

小説……特に推理小説ですね。

事件が解決するまで(≒最後まで)やめることができないから。

「専念するぞ!」と意気込まない限り、手に取りにくいのです…。

(自分の意思の弱さは棚にあげました)

 

いろんなところで公言しているように、わたしはジャンルとしては推理小説がいちばん好きなんですが、残念なことにここ数年、新たな、読破したくなるシリーズや夢中になれるキャラクターに巡り会えないのですね。

(前者なら、ディック・フランシスの競馬シリーズとか、主婦ジェーンのシリーズとか、修道士カドフェルとかリンカーン・ライムとか。後者なら、アーチー・グッドウィンや仁木雄太郎など)

 

人間臭い悩みを抱えた中年刑事、とか……いいんだけど……わかるんだけど、

「萌え」

も必要なんですよ、わたしには。

 

萌える要素がなくても犯人がわかるまで読みやめられないなんて、推理小説は、わたしに嫌われてもしかたないと思います。

 

で、某シリーズ。

二作目に進むかどうか、これから脳内審議に入ります。

では。

相棒は「音声入力」

あいかわらず、わたしが音声入力を利用するのは、スピードが要求されて、なおかつ文法や変換がテキトーでも許せる(自分で自分を)家族とのLINEがメインです。

 

ときどき、メールの返信などに(フリックより早いので)使うこともありますが、たまたまスマホしかないとか、もう(まだ)お布団に入っているとか、限られた事情のときくらい。

 

でも、「ちゃんとした(自分にとって許せる)文章を音声入力で」と思うと、

「その変換は違う!」

とか、

「ちゃんと聞いてよ!」

とか、

スマホ相手に苛立つことになるのです。

「ケンカ売ってんのか」状態になることさえあります。

 

先日は何度「学部長」といっても「額縁」という字が出て……。

変換候補も出ず、必ず「額縁」なので「きーっ」ってなりました。

「が、く、ぶ、ちょ、う」と「う」をしっかり言っても「額縁」。「う」は無視。

「額縁う」とでもしてくれたら、まだ許せたんだけどなー。

(え、わたしの滑舌のせいですか?)

 

とはいえ、いちいち変換にこだわって言い直していたら、頭の中にあるアイデアのほうが消えてしまいかねません。

割り切って、出先でのアイデアメモのときはとにかくしゃべり尽くし、変換ミス等にはあとで悩むことにしました。

 

先日も会議前の少し時間があったので戸外に出てスマホ相手にしゃべって、それをメールで自分宛てに送ってみたのですが。

帰宅後に受信したら、

「おまえは何をいっているのだ?」

と頭を抱えたくなる記述もあり……

 

それでも、「走り書きのメモ」(一部解読できないという共通点)程度には役に立ちます。

なんとかつきあっていきたい……。

 

滑舌の悪いわたしと、融通の利かないアプリ。

凸凹バディのできあがり、です。

停止したエスカレーターは階段ではありませぬ

台風の影響でしょうか、この二日ほど、雨に降られてずぶぬれになる事案が連続で発生。

不要不急な外出なら控えたかったんですけども。

「急ぎ」ともいいきれないけれど「なるはや」で、外出が必要な任務(広い意味で公務です)がありまして。

「雨がやんでいるすきに」と思いつつ出かけては降られるという、雨オンナらしい状況に陥っていました。

 

私的な外出(買い出しですね)の際には、こんな事案も。

 

以前にも1、2回経験しているんですが、「停止したエスカレーター」の上り下りって、酔ってるみたいな、めまいがするような、キモチ悪い感覚になります。

 

調べてみると、「壊れたエスカレーター現象」という名さえあるらしく……

ja.wikipedia.org

下の画像のとおり、いわれるままに階段として使ったのはいいけれど、脳が落ち着くまでの何秒か、階段(いえ、エスカレーター)の下で動けなかったのでした。

 

f:id:gotomiwa:20200905055540j:plain

停電&急停止ゆえの事故も困るけど、ふらついて転ぶ人とかが出ても危ないのでは?

 

 

 

最後の作品。

先日、リモートで、デビュー前のことなどをお話しする機会があったのですが……

 

公募時代……つまり、童話を書いてコンクールに応募して、というのをくりかえしていた時代……わたしがしょっちゅう恐れていたのは、

「これが最後の作品で、もう二度と書けなかったら(何も思いつけなかったら)どうしよう」

ということでした。

 

いわゆる「ネタ切れ」という意味もあるし、ネタがあっても作品にできない(文章にする力、構成する力が消えてしまう)という意味も。 

 

ほんとにほんとに、それが恐かったんです。

落選より恐かったな。

(落選すること自体は、そりゃしないに越したことはないけど、「恐い」という感覚はなかった気がする。そもそも落選がデフォだし)

 

一年に何十かの童話を書いて(応募して)、見るもの聞くもの、何でも童話に変換している※感じがしていたころです。

それでも、たびたび怖がってた。

極度に心配してた、というほうが近いかも。

 

(※ だからわたしは未だに「身のまわりのモノすべてが童話の種になるよ」といっています。…そうしようとすれば、ですけどね)

 

気がついたら、それから20年たっていて。

活字になったもの、ならなかったもの(いわゆるボツ)、書き上げられなかったもの(書く書く詐欺)……そんな違いはあれど、物語を思いつき続け、書き続けているわけです。

(さらに、仕事とは関係なく書いて公開しているし)

 

だって、世界が、人物が、その言動が見えちゃったら、追いかけて観察するのが楽しくてたまらないし、書き留めずにいられないし。

(正直、文章を書くのは苦手。めんどくさい。特に、地の文。最初に書いたのが最後まで残ることは滅多になくて、えんえんと、ちまちまと、単語単位で修正をくりかえしている自分がウザい)

 

聞かれて、言葉にして、昔を思い返し……

「これが最後かも」と、おののいていた当時を懐かしみました。

20年前に戻って「大丈夫だよ、あんた、この先もしつこく書いてるよ」と言ってやりたい気分ですよ、ははは、みたいな。

これ、生まれついての体質だよね、へへへ、みたいな。

 

 

でも、20年たった今では、別の意味で「最後の作品」に近づいてるよね。

意識してそうするか、脳や心臓が勝手にピリオドを打っちゃうのか、それがいつになるかもわからないけど。

それまでは、のんびり(ときにはガツガツ?)物語を創り続けていくんじゃないかと思います。