(ただし現在、夫健在)←韻を踏む
エスペラント語で書かれた本を読む読書会……長い長い月日をかけて(?)「90」という本を読み終えました。
最後の最後には綴じがバラけてしまって、マスキングテープで留めながら、でした。
「読書会」という無理やりなものがない限り、わたしがエスペラントで書かれた本を読み通すなんてできないので、この脳……「穴の開いたバケツ」のために必要なのです。
「90」は、90歳になろうとする東欧生まれの女性が書いた自伝的掌編集(どこからどこまでが創作かわからない、ほとんど「体験」に思える)。
著者は「愛する男性」に出会って80歳で(だったかな?)初めての結婚をした方なのです(結婚後はイタリア在住)。
コロナ禍で愛する旦那さまと同時期に亡くなってしまい、これが遺作ということになります。
「先天性空想癖」のわたしとしては、同様に「掌編集」とくくられそうな、これより前に読んでいた本(ほぼフィクションと思われる)のほうが燃えました。
日本語訳をしてみたお話もあるし、触発されて自分でも(日本語で)いくつも書いちゃったくらい。
でも、ひとりの「老女」としては……80代でもラブラブ結婚生活ができて、こんなに文章が書けるんだ(90歳近くでも普通にEメールとか使えるし)ってことが、とても興味深いのです。
彼女、長編SFも書いているんですよ(amazonで買えるけど、さすがにわたしにはムリかな、読むの)。
希望の星、と呼んでもいいです。
そう、わたしには今、何人か(何個か、と呼ぶべきか)「希望の星」がいます。
高齢で何かを始めて、プロになった女性。
高齢になるまで変わらず続けている女性。
「星」によってさまざまですが、共通点は後期高齢者だけど「現役」ってことです。
わたしだって、今からはじめて「できるようになる」ことはあるかも。
(プロにまでならないとしてもね)
そう思うと、新たなことを見つけるのにためらいがなくなります。
まぁ、あまりためらわないほうではあるのですが、敷居の段差程度の「引っ掛かり」はあるんです、わたしにだって。
それをバリアフリーにしてくれる、そんな「星」の方々なのです。
もっともっと星を見つけて、プラネタリウムみたいにしたいなー。
(リアルな夜空には、かろうじてオリオン座が見える程度だもの)
人生100年といわれるなら、わたしはもう後半戦ですが、コップの水と同じ。
「もう半分しかない」と思うか「まだ半分ある」と思うかで、未来は変わりますよね、きっと。
……と思っているので、最近「やりたいこと多すぎ」で「やるやる詐欺」になりつつありますが……。
「やりたいことを見つける」ということ自体が(たとえできなくても)大事なのじゃないかな、なんて思ってもいるのです。