昨日の続きの骨折話のふりをした(してない)創作関連話であります。
痛みが引いてきても、テーピングを濡らせないので湯船に入れなかった「マドロス」の時期のこと。
義母がいったのです。
「シャワーだけじゃ寒いでしょ、足をあげたまま、お湯に入ればいいじゃない」
いやいやいや、お義母さん、それは無理。
即答したわたしに、義母はけげんな顔をしていました。
まぁ、そうですよね、「足をあげたまま湯船に入る」という言葉には、文法的にも、おかしな点はないものね。
でもですね、これはまぁ(築三十年超の)わが家の浴槽ゆえの事情でもあるわけですが、左足を濡らさないように湯船に入るには、シンクロナイズドスイミング的に背中から(お尻から?)入って、まっすぐ下に沈む必要がありますね。
あるいは右足だけ入って、沈みつつ、どこかの関節をはずして方向転換……???
それに、左脚を浴槽の縁にかけておく格好でしか、湯に沈めません。
腹筋を保持しないと、溺れます。
湯から上がるときは、鉄棒の足掛けまわり的に、左ひざと両腕の力でカラダを持ち上げて……。
どう考えても「シャワーだけ」のほうが安全で快適です。
ここでいきなり、gotomiwa先生は「ああ」と納得するのでした。
ときどき、「やらかした作品」に出会ったり、自身がやらかしたりします。
言葉の意味は合っている、文法もまちがっていない……なのに、書かれている事柄を映像化すると、
「無理がある。ありすぎる」
となることが。
「この文どおりの行動をするには、三本目の手が必要では?」とか。
「彼、頭の後ろに第三の目がありますね」とか。
「いや、ちょっと待って、そのとき室内は暗いんだから、それを見つけることはできないでしょう?」とか。
わたしは『脳内の映像を文章に起こす派』。
(ほかの派閥のことはよく知りません……そもそも派閥なのか???)
単純な「腕三本」「第三の目」的なミスは、あまりしていない(つもり!)です。
でも、「うわぁん、この部屋を何らかの理由で明るくしておかないと、困るううぅ」と設定を見直したりすることは、たびたび、しばしば……(/ω\)
おまぬけです。
脳内映像が足りていない、ともいえるかな。
童話は文字で書くんじゃないんだよ~っていうと、驚かれることがあります。
(というより、文字で書くに決まってるじゃんと呆れ顔をされたりします)
だけど、「文字だけ」で書いていると「絵に(映像に)ならない」ことも起こるんだよ~、というわけです。
お互い、気をつけましょう。
自分が書いた文章を読み返して脳内で実写化する「確かめ算」を、忘れずにしようね!>自分